冬は歳の余、夜は日の余、陰雨は時の余なり

きょうのことば

読書三余

冬は歳の余、夜は日の余、陰雨は時の余なり

──『三國志』「魏志・王粛伝」より

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  今日、4月23日は「子ども読書の日」。同日から5月12日まで「こどもの読書週間」となります。そんな折に「きょうのことば」は『三國志』の故事から。

 

 昔、董遇という者がいた。性格は朴訥 (ぼくとつ) であるものの学問を好む青年だった。兄とともに田畑を耕し、穀物や野菜を行商してまわったそうな。行く先々では常に経書 (儒教の経典) を持ち歩き、暇を見つけてはそれを習い読んだ。そんな董遇も長じて、後漢王朝・明帝の治世において官爵・大司農にまで昇りつめ、農政・造幣など国家財政をつかさどるにまでに相成る。

 そんな董遇に学びを乞おうとする者が数多く参集したが、彼は一人も弟子をとらなかった。その代わりに彼らには懇々とこう教え諭すのだった。

 「──教わるその前に書物を百篇何度も繰り返し読みなさい」

 そんな教えを乞う者たちの中に一人、こう質問した者がいた。

 「──私は読書をする暇がなく大変苦しんでいるのです。」

 董遇は言う。そうは言っても三余があるだろう、と。暇がないということはないんだ、と。そこで「きょうのことば」です。

 もっとも、今は働き方も多様化しています。故事のように、ゆったりした時間の流れに身を置くことも難しいでしょう。弟子入りを望んだ彼の質問は、まさに現代人と瓜二つ。

 

 私の読書遍歴はまた後日にでも紙幅を割くとしても、一般に学齢が上がるにつれてだんだんと本を読む冊数・頻度が少なくなるようです。それでもあの頃の幼少体験は大事だったと、痛切に思います。思えば親は様々な工夫をしてくれました。そんなたすきを受け取ったままで、子どもたちに読書の楽しさを説かないのは、雲居の母にも申し訳ないなぁ、と少し思います。

 読書を敬遠気味なあなた。ぜひ、虫の声に耳をそばだててみてください。そう、あなたの周りにいる“本の虫”に。