火山の癖というものは、なかなか学問でわかることではないのです。

きょうのことば

火山の癖というものは、なかなか学問でわかることではないのです。われわれはこれからよほどしっかりやらなければならんのです。

──宮澤賢治グスコーブドリの伝記』より ペンネンナーム老技師のことばから 

f:id:rendezvous2013:20150508192633p:plain

 今年のお正月は、神奈川県は箱根の大涌谷 (おおわくだに) から富士を一望しつつ、ちょっと贅沢に過ごしました。大涌谷には名物・黒たまごがあります。「一つ食べると三年長生き、二つ食べると七年長生き、三つ食べると死ぬまで長生き」なんて触れ込みで売られていた黒たまごをポイっと放り、「黒たまごで寿命が延びるんだったら世話ないよなぁ」と思いつつ、眼下に広がるもくもくと留まることを知らない白い噴煙を背に、友人と黒たまごを堪能している写真を撮ったり。黒たまごの実物は想像している以上に黒々としていますが、あの白かった殻がマッドブラックに仕上がる秘密には、箱根と切っても切り離せない関係にある地熱と火山ガスにあるようです。たまご内部を保護する役割を果たす「卵殻」は多孔質であり、その気孔の数は無数にあります。卵を温泉池で茹でると、卵殻にある無数の気孔に温泉池由来の鉄分が付着。さらに火山ガス由来の硫化水素がこの鉄分と結合して、硫化鉄となり黒くなるようです。箱根には自然からあたえられる恵みを活かす知恵を持つ人々が、逞しく生きている。今回の旅ではそのような収穫を得ました。

 しかし、思い返してみると「呑気にも」と言えなくもありません。その大涌谷に立ち入り規制が設けられました。気象庁大涌谷付近で小規模な噴火が起きる可能性があるとして、これまで噴火警戒レベル「1」であった現状から「2 (火口周辺規制)」に引き上げたためです。気象庁の念頭にはやはり、昨年秋に戦後最悪となる死者57人を出した御嶽山の噴火があるのでしょう。折しも観光客賑わうゴールデンウィークの最中。観光に従事する人々には大きな痛手が出ることをわかりつつも、果断な処置で、対応は極めて迅速でした。

 

 火山事故のニュースをみるにつけ、いつもある作品を思い出します。宮澤賢治の童話「グスコーブドリの伝記」。生涯で初めての観劇もこの作品でした。冷害による飢饉に苦しむ理想郷・イーハトーヴの火山局の技師であるグスコーブドリは、あらゆる人智を動員し、火山を噴火させて、この地に棲まう人々を救済しようとします。火山をあえて噴火させようとする営為こそ、現実とは大きく違うものの、今読まれるべき作品であるといえます。温暖な気候に戻そうと、火山噴火で生じる炭酸ガスによって地域一帯に温室効果をもたらし、気温を上昇させることで、飢饉を避けられうるのではないか、と粉骨砕身し人々のために尽くします。
 賢治の作品にはあるモチーフがあるように思えます。作品には、大自然といろいろな仕方で対峙している人々が登場します。例えば、自然の猛威は科学技術によって飼いならすことができると思っている人々。あるいは、自然からの恩恵を享受しつつも、恩恵と猛威は紙一重、表裏一体であるにも関わらず、その猛威には痛罵 (つうば) を浴びせる人々。自然と人間は共存しあえるもかもしれないと刻苦勉励する人々。自然の猛威に為す術もなく項垂れ、途方に暮れる人々。それらあらゆる人々との出会いを通して、その生き方、思想が主人公に輻輳 (方々からいろいろな物が一か所に集まること) して、煩悶 (はんもん) しながらも答えを見出そうとする……。そんな物語にあふれています。

 確かに報道で言われるように、箱根山で予想されているのは小規模な水蒸気爆発であり、大涌谷カルデラ内の中央火口丘の一部に過ぎないかもしれません。でも自然には絶対はなく、猛り狂う業火に、マグマと噴煙の波濤 (はとう) を私たちは目撃するかもしれません。御嶽山噴火で犠牲になった方々が浮かばれぬような結末にはしてはいけないと強く強く祈念します。犠牲者が出ないことを祈念しつつ、しかし、箱根に新たな自然の造形をもたらしたまえ、とも思いながら。