赤いスイートピーは存在しない

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1970年代の国民的スーパーアイドル・山口百恵がわずか21歳で突如として引退を発表。1980年に開かれた日本武道館でのライブで「さよならの向う側」を披露し、マイクをそっとステージに置き舞台裏へと消え去った。

そのマイクをかっさらうかのように同年デビューしたのが松田聖子である。デビューから長く続けてきたヘアスタイルは一大ムーブメントとなり、多くの女子たちが〝聖子ちゃんカット〟を真似たのは往時を知らない世代でも知る逸話だろう。私の母もご多分に漏れず聖子ちゃんカットだったようだ。聖子ちゃんカットはしかし、1982年に発売された「赤いスイートピー」を期にその姿を消す。眉を覆うほどの重い前髪と外向きにブローされたサイドヘアーと突如訣別 (けつべつ) し、ファンを一様 (いちよう) に驚かせた。

さて、この「赤いスイートピー」だが、松田聖子の楽曲の中でもとりわけ好きな一曲である。当時33歳だった作詞家・松本隆と28歳だった呉田軽穂(松任谷由実)により生み出された名曲である。歌詞の創作秘話について松本隆はこう語っている。

「テーマはあくまでも恋愛における幻のようなものでして。この女の子が見ているスイートピーは幻視したもの、現実と幻想の間、境目みたいなものですね。恋愛をしているときってそうじゃないですか。勝手にいろんなものを付け足してピカピカ見える」

確かに松本隆の並べ立てた歌詞はどこか幻想を思わせた。というのも、歌詞の中に登場する煙草の匂いをまとうシャツを着ている彼は二十歳を超えた年齢だとすると、青春時代である1970年代の空気をめいっぱい吸い込んだ世代だ。1970年代は欧米の自由恋愛主義やフリーセックスが日本にも流れ着き、男女ともにむしろ貞操 (ていそう) 観念に崩れが生じはじめた頃で、男女の関係をプラトニックな恋愛に導くことはむしろ難しかったかもしれないという現実がある。一方で、プラトニックな関係を築くことがまだ幻想ともいえないほどには希望がある……。そんな現実と幻想の境目を確かに歌っているようで、女性の振れる心をしっかりと捉えていると思う。

実際、この楽曲を発表した途端に、これまでぶりっ子とされてきた聖子ちゃんに同性のファンも増えたというから納得だ。

そんな私が世代を超えてこの楽曲を愛するのは、当時付き合っていた女性が自分の中のプラトニックな部分をずっと引き出してくれていた存在だったからだ。

〝知り合った日から半年過ぎても〟〝手も握らない〟のが私であったし、私自身に対して〝あなたの生き方が好き〟と思ってくれるような存在として彼女に映ってほしいという願望もあり、付いてきて〝I will follow you〟ほしかったのは確かだ。

でも「あなた自身の存在が私のプラトニックな部分をさらけ出してくれている存在なんだ」ということは彼女には口にできなかった。やっぱり自分も男だから自分の中に二面性はある。どろどろと糜爛 (びらん) な抑えがたい欲望だってきっとあったけれど、なぜか彼女の前ではいつもプラトニックなところばかりがある意味で〝暴露〟されてしまうのである。

スイートピー花言葉は「門出 (かどで)」と「別離 (べつり)」。彼女とは実際の花言葉そのものような結末を迎えてしまったけれども……。

松本隆自身は題名であるスイートピーにどのような意味をもたせたのだろうか。手元にある『松本隆 風街図鑑 1969 - 1999』のライナーノーツを見ると「わざと純情な二人の話を書いた」と語っている。1982年に発表した「赤いスイートピー」で描かれたプラトニックな恋愛には今は後戻りさえできそうにない。その意味で時代の狭間 (はざま) を真空パックしたようなこの歌。ちなみに楽曲発表当時、スイートピーには赤い品種はまだ存在しなかった。今では〝存在しないもの〟を歌ったその心象風景に恐るべき詩性が宿っている。(了)

Seiko Matsuda sweet days

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