絶望に慣れぬための「メメント・モリ」

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アルベール・カミュの小説『ペスト』が昨年来、新型コロナウイルスの猛威に晒 (さら) された国々で突如としてベストセラーになった。

不穏なネズミの大量死から招かれたペストが、次第に社会の隅々までをも覆い呑み込んでいく様を克明に描いており、コロナ禍の今、改めて読み返すと何もかもをも言い当てているようで総毛立 (そうけだ) つほどの作品である。

同時に、カミュはその作品の中で、あれほど病魔に翻弄 (ほんろう) されていた市民が、ペスト禍への感受性を次第に鈍らせていく姿もまたありありと描いた。引用しよう。

 

「市民たちは事の成り行きに甘んじて歩調を合わせ、世間の言葉を借りれば、みずから適応していったのであるが、それというのも、そのほかにはやりようがなかったからである。彼らはまだ当然のことながら、不幸と苦痛との態度をとっていたが、しかしその痛みはもう感じていなかった」

 

それを受けて、主人公である医師・リウーにこう言わせている。

 

「まさにそれが不幸というものであり、そして絶望に慣れることは、絶望そのものよりもさらに悪いのである」

 

やがては希望を抱こうとすることすら放棄してしまい、人々の心をも蝕 (むしば) んでいく様もまた描くのである。

今、コロナ禍にあって、絶望に慣れてしまうことに対して我々は必死に抗わなければならない。そのための方途を探しあぐねていたが、少しだけヒントになるような言葉があった。

「イタリアには〝迷ったら古典に帰れ〟という言葉がある」──。在伊40年余のジャーナリストでエッセイストである内田洋子さんが紹介している。イタリアではジュゼッペ・コンテ首相による非常事態宣言発動と軌を一 (いつ) にしてロックダウン(都市封鎖)はその全土に及んだ。そのロックダウンの渦中、内田洋子さんがイタリアに住む若者24人に呼びかけ、ロックダウン下における彼ら彼女らの日々の暮らしや心の機微をオンライン上で記すよう声を掛けた。毎日彼女の元に届くメッセージを邦訳しては、ウェブ連載として日本の読者に届け続けた。題名は、ボッカチオによる人類史上初の疫病文学『デカメロン』になぞらえて『デカメロン2020』。

ボッカチオによる『デカメロン』は女性七人と男性三人の若者が、ペストが蔓延する都市から離れ、郊外にある別荘に籠 (こも) り、1日に1人ずつ10の物語を話して10日間語り合うというリレー小説である。それぞれの物語には性、愛、富、嫉妬、復讐をめぐる内容が含まれており、そのどれもが活気に満ち溢れている小咄 (こばなし) である。

ペストが猖獗 (しょうけつ) を極め、都市では死臭が満ち、老いも若きもペストに罹患 (りかん) すれば容赦なく見捨てられる──。まるで倫理が逆さ立ちしたような世の中でなお、なぜ若者らはこのような小咄に花を咲かせているのだろうか。そう思われる向きもあろうが、永劫 (えいごう) 的な愛を捧ぐことも捧げられることも叶わぬ時勢の中で、痴話 (ちわ)、不倫、貫通といった刹那 (せつな) 的な快楽が描かれていることにこそ注目したい。むしろその背後から読み取るべきは「メメント・モリ (死を想え)」なのである。

死を想うことこそが、かえって自らの生の輝きに通ずることだってあると思う。死に至る病ならぬ〝絶望に慣れる病〟から抜け出す一つの方途かもしれない。(了)

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