歴史がつくられていようなどとは、考えもおよびませんでした

きょうのことば

「歴史がつくられていようなどとは、考えもおよびませんでした。私はただ、いいなりになることに疲れていたのです」

──『ローザ・パークス自伝』(高橋朋子訳)より

 

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 日記を書く心構えで、私が半ば夢遊病者の譫言のように言う、「個人史と社会史は常に同期 (シンクロナイズ) させなければいけない」のことばとどこか共鳴しあうような気もします。

 「公民権運動の母」とも評されるローザ・パークス。アメリカはアラバマ州。日常生活において黒人・白人はあらゆる場面で隔離されるべきとされた時代。当然、バス車内も例外ではなかったでしょう。ここアラバマ州に住まう人々にとっては、人種隔離というものはおよそ所与のものであり、日常の風景であり、何の歪み、軋みもないと素朴に信じていた時代。あるいは「社会とはそういうものだ」と自分自身を誤魔化しつつ生きていた時代。ローザ・パークスは勇気ある行動を起こします。その小さな一滴がやがて大河となり奔流となりて、全世界に公民権運動という潮流を引き起こすあのダイナミズムへ。歴史の教科書で習ったあのダイナミズムに。

 私は、元来、アメリカンドリームということばが好きでした。それは一攫千金を夢みるようなあのエートスではなく、ローザ・パークスが起こしたような、こちらのエートスにこそ真実味が宿っていると思うからです。人種差別という歴史は作られたもの、フィクションであることを自覚したことから、翻弄され奴隷となることを厭い、自らがその歴史の作り手となる。

 

 ただ、近年、アメリカではまたしても黒人差別の流れが渦巻いているようにも見えます。例えば今月四日、米サウスカロライナ州ノースチャールストンで、交通違反を取り締まっていた警官が、その場から走り去ろうとした黒人男性を射殺した事件もそうですが、このような事件が頻発するのを見るにつけ、こうも思っています。歴史を (テクストとして) 学ぶという意義には限界がある。想像力を使わねば、と思い至るのです。歴史のテクストから立ち昇ってくるあの上気した「怒り」「憤怒」「義憤」こそを学び取らねばならない。自戒の念を込めてそう思うのです。